2011年御翼12月号その3

ギデオン協会の聖書で変えられた人々

 イエス様は三十年間、私たち人間と同じ生活をなさり、生き方の模範を示してくださった。三十歳からは公生涯に入られ、三年間御国の福音を教え、病人を癒し、魂を救ってくださった。神はこのひとり子イエス様を、私たちの罪の身代わりに十字架におかけになり、尊い血潮を流させ、信じる者には永遠の命を与えてくださる。こんな愛に満ちた約束をくださるお方は、世界中捜しても全能の神以外にはない。この有り難い福音を、世界中の人々が信じている。世界では人口約六十億人のうち、三分の一の十九億人ほどがクリスチャンである。ところが、日本でのクリスチャンの割合は、百人に一人足らずと、まだまだ多くの人々はキリストの救いを知らないでいる。
 そこで、聖書を学校や病院、ホテル、刑務所等で無料配布しているのが、国際ギデオン協会である。これは1899年にアメリカで発足し、日本でのギデオン協会は1950年に創立、初代会長は五十嵐丈夫(クリーニングの白洋舎を創業した五十嵐健治の長男)であった。現在日本には155の支部があり、クリスチャンの実業家や専門職業人が時間とお金を献げて、まだキリストを知らない人々に証しを行ない個人伝道し、聖書を無料で贈呈して救いに導いている。1970年代に全国会長を務めた鈴木留蔵氏(クリスチャンの実業家、2009年召天)は、1971年に大平総理、77年に福田総理、81年に鈴木総理、86年には中曽根総理大臣に聖書を贈呈している。また、中学、高校でも聖書を配ってきたが、卒業後何年もたってから鈴木氏にお礼の便りが届くということもあった。「人間は悪い行ないを悪いとわかっていても、自分ではやめることができない。しかし神の霊感を受けて書かれた聖書には、善悪の基準がズバリと書いてあり、読めば必ず魂に潤いが与えられるので、悪いことをしたいとは思わなくなるのだ。だからこそ私は若い人たちへの聖書贈呈に励んできた」と鈴木氏は言う。そして、聖書贈呈によって種を蒔いておきさえすれば、神さまが育ててくださるのだ。
 千葉県下での出来事だが、ある時酒に酔った男性が千鳥足で歩いていた。彼は六十歳になっていたが、何年もの間アルコール依存症に陥っており、もはや自分で自分をコントロールすることができなくなっていた。彼は小石につまずきそうになってつと立ち止まった瞬間、道端で焼却を待つばかりに積まれていたごみの山の中に、真新しい本が一冊交じっているのに気がついた。何気なしに拾い上げてみると、表紙には『新約聖書』「国際ギデオン協会より贈呈」と記してある。ともかく持ち帰って酔いの醒めた目で拾い読みを始めた。そして、こんな自分のような者でも見捨てることのない神さまがいるのならと思って教会に通うようになった。間もなく彼はイエス様を信じて洗礼を受け、酒を断つことができた。きわどいところで焼却をまぬがれた聖書によってこの男性の人生は変えられたのだった。自分が救われるきっかけとなった聖書を一人でも多くの人にと願った彼は、ギデオン協会の会員となって今も聖書贈呈の奉仕を続けているという。 戦後間もない頃、京都のホテルで働いている一人の男性が、三冊の分厚い本がホテルのごみ箱に捨ててあるのに気がついた。それらはアメリカで印刷された旧新約聖書で、ホテルに備えつけるように贈呈されたものだった。一冊は日本語、二冊は英語だった。しかしこの男性は、聖書がどんなに貴重な本であるかを知らなかった。それでトイレのちり紙にでもと思ってこっそり家に持ち帰った。当時、日本中が敗戦からまだ完全には立ち直っておらず物資のひっ迫した時代だったから、紙は貴重品だった。聖書の紙は上質の紙をごく薄く抄いたものだから、彼の妻もさっそくちり紙として使い始めた。初めは英語の聖書を破いては使い、使い終わったので次に日本語の聖書を破るためにパラリとめくった。そのとたん、創世記第一章第一節の「初めに神が天と地とを造られた」という聖句が読むともなく目に入ってきた。何となく心が引きつけられてそのまま吸い込まれるように次々と頁をめくっては読み続け、箴言まで読み進んだ。「これは人生占いのような本に違いない」と思ったが、クリスチャンの友人に見せると、「これはギデオン協会という団体が贈呈している聖書ですよ。破るなんてとんでもない」といさめられた。彼女はその友人に導かれて教会に通い出した。その後洗礼を受け、ご主人も教会に行くようになり、間もなく受洗した。後年ギデオン協会に入会して、全国大会の席で以上のようないきさつを証しした。やがて妻より先に天国に帰っていった。これらの出来事は、ギデオン協会が贈呈してきた聖書を用いて神さまがなさった救いのみわざのごく一部にすぎない。
 日本全国には、まだまだ公表されてない救いのドラマがあるに違いない。また世界180カ国のギデオン協会が、もしそれぞれの救いのドラマをすべて記していったなら膨大な数にのぼるであろう。聖書を通した救いのドラマは今日も世界中のどこかで起こっている。      
鈴木留蔵『私は乏しいことがありません』(いのちのことば社)より

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